| 指揮 | クリストファー・ホグウッド |
| 出演 | ソプラノ1 :ジュディス・ネルソン ソプラノ2 :エマ・カークビー コントラルト:キャロライン・ワトキンソン テノール :ポール・エリオット バス :デイヴィッド・トーマス |
| 演奏 | エンシェント室内管弦楽団 オックスフォード・クライスト・チャーチ聖歌隊 |
| 録音 | 1979年9月 |
| 発売 | ポリドール(L’OISEAU−LYRE) |
| CD番号 | POCL-2476/7 |
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わたしにとってこの演奏は、第2ソプラノの「エマ・カークビー」が全てと言っても過言ではありません。 エマ・カークビーは、2時間を超えるこの曲の中で2曲ほどアリアがあるに過ぎません。 また、その声は、あまり声楽に詳しくないわたしには、あまり正統的な歌い方には聞こえませんでした。 歌い方は、音の出だしのアタックが弱めで一音一音を膨らまし気味にする古楽器の奏法に多い歌い方で、綺麗な声の特徴である縦に伸びる声ではなく、横に拡がる、しかもかなり平べったい声の出し方をしているように聞こえます。 しかし、それでもわたしは、この人のアリアに非常に魅力を感じました。 しかも、その魅力は、声そのものだったのです! 特徴だけ見ていると、とてもいい声とは思えないはずなのですが、実際聴いていると、膨らまし気味の歌い方と、平べったい声……そう、特にこの平べったい声が、「この声しかないっ!」と思えてくるくらい不思議と曲にマッチしているのです。 まるで催眠術でもかけているかのように、心の内側に直接働きかけてきて、他の人の演奏では決して満足できないようになってきます。 エマ・カークビーが担当している二つのアリアとは、第6曲の「But who may abide the day of His comming」と第36曲の「Thou art gone up on the high」なんですが、実はこの2曲は、一般的な版のメサイアでは、アルトか男声が担当し、ソプラノが担当することはありません(とりあえず、わたしは聴いたことがありません)。この点は、捨子養育院版ならではのため、ソプラノで歌っている演奏が 他に無いことも、わたしが他の演奏に満足できない傾向に拍車をかけています。 特に第6曲の方は、この演奏を聞く前は、曲自体が全く好きでは無かったのですが、エマ・カークビーの演奏を聴いて、完全に見直しました。(現金というか……) 話が出てきたついでに、捨子養育院版と一般的な版との違いについて少し触れます。 今、一般的な版と書きましたが、実際には決定版というものは無く、他の人の演奏にしても、比較的近いだけで、細かい部分は、各自結構バラバラです。 それはともかく、捨子養育院版と一般的な版との大きな違いは………実はほとんどありません。(笑) 先ほど書いた、第6曲と第36曲と他数曲のアリアの調が移調されて、アルトからソプラノに変っていることが最も大きな違いで、あとは、ちょこちょこ細かい部分で変っている部分もありますが、さほど大きな違いではありません。一般的な版を使った演奏同士でもあり得るぐらいの小さなものです。 まあ、わたしにとっては、その2曲の違いが凄く大きかったのですが。(笑) 話を演奏の方に戻して、全体的な感想です。 エマ・カークビーを別にしても、独奏者の上手さが光っています。 アリアとレチタティーボ問わず、メロディーの扱いが素晴らしく、実に聴かせる演奏です。 綺麗過ぎて感情が乏しくなったりはせず、感情や盛り上がりを表面に出して、聴く者を飽きさせません。 今まで、ガーディナーやピノックの演奏を聴いていたとき、この点が不満で、アリアとレチタティーボが好きになれなかったのですが、この演奏では、魅力が存分に表現されています。 しかしその反面、合唱はガーディナーやピノック程の勢いや美しさが感じられず、残念ながらあまり好きにはなれませんでした。 といっても、決して下手などではなく、それどころか、かなり上手いレベルに入ると思います。 ただ、ガーディナーとピノックがあまりに良すぎたので、それに比較するとちょっと……という話です。また、曲の中でもアリアとレチタティーボの印象が強すぎて、割を食ったという面もあります。(2001/2/9) |